学校は行かなくてもいい ――親子で読みたい「正しい不登校のやり方」

を読みました。疲れました 笑

誰でも自分事に感じる本

私は不登校にはなりませんでしたが、とても共感を感じました。

だtそれは、私の過去の記事を読んでいただいてもわかる通り、学校にいるのが苦痛だった時期があるからなのですが、

「学校に行くのが苦痛」なきっかけはたくさんあって、結構誰でも思ったことあるんじゃないのかな。と思いました。

とてもやさしい内容なのですが、自分の記憶に重なって、結構読むのに疲れました。あんじゅ先生の漫画があったので、いいクッションでした 笑

話はとってもシンプルだけど難しい問題

この本が伝えたいメッセージはとてもシンプルです。

「学校にはもう行かなくてもいい – そういう選択肢がある」 ということです。

一流のビジネスパーソンの世界ではわかりませんが、少なくとも私がいる世界では、それは結構当たり前のことです。

他人のバックグラウンドなど気にしません。もしかしたら同僚が不登校だったかもしれませんが、それを意識したことはありません。

しかし、この本ではそれにたくさんのページを割いています。著者の小幡さんだけでなく、不登校を経験したいろんな人の事例も載せています。

このことは、「学校にいかない」という選択がいかに難しいかを物語っているように思います。

本の中でも、多くの人が学校に行くよう、かなり強く大人に言われた経験を持っています。そして社会的にも「学校に行くのは当然」という暗黙の価値観が存在しています。

私の周囲にも、不登校の方はいらっしゃいましたが、両親はその方を見下していたように記憶しています。当然、それは私にも当てはまります。

あの頃の私 – その後

以前の記事でお話した、私自身の話を掘り下げて、この本の大切さを改めてお伝えしたいと思います。

私は、「不登校」という選択をせずに、学校に行きながら居場所を変え続けました。しかし、そのしわ寄せは思わぬところでやってきました。そのことについて書こうと思います。

これが、読者の方の「嫌なことを嫌」という勇気、「やめる勇気」を後押しすることを願います。

ご興味あれば、お読みいただければと思います。

なぜ、いじめていたかがわかってきた

当時の私はいじめっ子でした。コンパスで腕を刺されたり、私の発言が原因で学級会が開かれたりしたこともありますが、やめませんでした。

この本を通じて、それが何故だったのかがわかりました。

私は「学校に居場所を確保するためにいじめていた」んだと思います。

実は、私は家庭で、母親にずっと怒られていました。母親は近所の子供たちに勉強を教えたりしていたため、私の成績が芳しくないと、とても怒られたことを覚えています。

また、ピアノの練習がとても苦痛でした。あまり詳しく書けないのは、すごく泣いたことと、とても怖かったことは覚えていて、なんで怒られたのかは覚えていないからです。

実は、私はいじめてた意外にも、当時「まったく宿題をやってなかった」のですが、今になって、そうだったのかなと思うようになりました。

このことは、本の中でも、以下のように触れられています。

誰からも見捨てられた気がしたけど「1年半」頑張った

そして、中学2年生の時に学校でも孤立を経験することになります。

その時に、親同士が相談しているのを聞いて苦痛だった話をしたのですが、実は上記のような背景があります。

学校にいても苦痛、家にいても苦痛、という状態になり、その時に「寄り道」する癖がつきました。

今でもやってる寄り道ですが、当時は中学校から家まで3km、約50分の通学路(坂が急だったから自転車通学禁止でした)だったのを、わざわざ寄り道して帰りました。

ある日、何が原因か忘れましたが、両親にすごく怒られて、妹と両親の3人で買い物に行った日に、家で一人、トイレで塩素系の洗剤を30分ぐらい見つめていたのを覚えています。

その1年半後に高専に入って、その程度で死ねないことを知ることになるのですが 笑

もう、どうやってその発想が転換できたのかは覚えていませんが、何かを転換点として、勉強をしはじめたのを覚えています。

親は私を無理やり深夜まで勉強さえしょうと躍起になりました。夜寝ると怒られました。でも気にしませんでした。

それは、「高専に入ると寮に入れる」、つまり学校からも、家からも逃げられるという思いがあったからだろうと思います。

実際、私は高専に入学することができました。ただ、これで終わりではありませんでした。

高専を順調に卒業し、大学に進学、しかしアカハラにあう

高専では、最初は解放感からか、一気に成績が下がったのですが、そこそこの成績で、研究もそこそこの成果をあげて(人生で最初で最後の、日本化学会での発表をする)、私は大学に入りました。

私は「編入学」という形で大学に入ったので、ガチの入試は経験していません。ですので、「大学に入ってから勉強についていけないということはほぼない」はその通りでした。

まあ若干単位はやばかったですが 笑

しかし、4年生の時に私を再度苦難が襲います。

当時、私の入った学科は研究室を「じゃんけん」で決めていました。私は負けてしまい、一番不人気の研究室に入ってしまいました。

有機合成をやる研究室だったのですが、毎日朝から晩まで合成して、怒られていました。

当時、ガラス器具を割ってしまって、怒られるのが嫌だったので、目立たない引き出しを開けたら、割れた器具が大量に入っていたのを覚えています。みんな辛かったんだと思います。

結局、高専の時と同じノリで、私は京都大学の大学院を目指すことになります。だって、京大ぐらい行かないと悔しいじゃないですか。

しかし、結果は補欠。滑り止めの大学院も不合格。また死の淵をさまよいます。

ちょうど同じころ、当時付き合ってた彼女がフランスに留学に行ったり、愛車のフェンダーを立体駐車場の支柱に当てたりしました。

先日、僕の尊敬する西村創一朗さんが、自身のブログで、自身がうつになられた時のことを語っていました。そこに当時の私の心境と全く同じことが書かれていました。

ただただ、「消えてしまいたい」と、毎日思っていました。誰かの役に立っていたい、社会に価値を提供したい。そんな気持ちが人一倍強かったからこそ、そうなれていない自分が許せなくて、「生きている価値がない」と思いました。

ほかの研究室の教授が手を差し伸べてくれたりしたのですが、それを受け入れる気力もありませんでした。通過する電車を見ると泣けてきたのを覚えています。

これが20歳の頃、その後31で劇団四季のミュージカルを見に行くまで、私は約10年間泣きませんでした。

結局、11月に京大から連絡が入り、無事首の皮がつながることになりました。

大学院進学後に、当時のことを思い出して書いたブログがこれです。恥ずかしいですね 笑

タイトル変更 / 前の研究室

結局、倒れるまで、「頑張ること」を辞めれなかった

こうやって、社会人になった私ですが、また同じ状況にあいます。

私が30を過ぎたころ、当時は私は子会社から親会社に出向していたのですが、TaskChuteで時間をつけていました。当時は朝8時から夜10時を過ぎるのはわりと当たり前でした。

実際の残業時間は40時間をゆうに超えていたと思うのですが、医師の面談が必要ということで、20時間ぐらいに収めて申告しました。

すると、出向先のデスクで一番偉い人に呼ばれ、「周りの人が残業していないのに、お前だけ残業していたら、お前に全部押し付けているようじゃないか」と言われました。

当時の私の出向先の部署は、私以外は40代で、手を動かさない人ばかり、若手の私に手を動かす仕事が集中していたので、その指摘は、いわば「ごもっとも」でした。

今から思えば、この時点で怒ってもよかったのですが、もうすでに心身が蝕まれていたのだと思います。

私は、毎日何をやったか記録をして、帰った時間もつけている。そのうえで、問題にならないぎりぎりにあわせたので、こういう値になりました。どれぐらいにすればいいかを尋ねました。

すると、彼の顔色はみるみるかわり、「俺が優しいうちに直せ」と言いました。

私が写真食堂で気を失い、ユーリンチーに顔を突っ込んだのはそのころです。心療内科にいき、薬をもらい、1か月ほど休むことになりました。

自分の体からのフィードバックによって、初めて、「休むこと」、というより「社会自分の距離をとること」の大切さを知ることができました。

やっぱり、「学校に行かない」選択肢はほしかった

それから、私はやりたかったプログラミングを学習し、スタートアップに入り、今はこうやってブログを書いています。

まだ会社員で給与所得で暮らしてはいるものの、当時よりも高い年収で働いています。そして、なんとなく自分のやりたいことも見えてきました。

履歴書上、私はとても優秀に見えるのですが、実態はこんなもんです。

私は今の人生には満足しています。それは私が作り上げたかけがえのないものだからです。

しかし、特に30を超えてから、自分の人生には、隠されたたくさんの選択肢があったことを知りました。そしてそのほとんどが、「嫌なことは嫌という」というハードルを超えた先にあるものでした。

あの時、宿題をやらなくなりはじめたとき、シカトされたとき、アカハラにあったとき、「学校に行かない」ということを知っていれば、今の人生はもっと豊かになったのではないか。とすら思うことがあります。

少なくとも倒れるまで仕事をするということはなかったように思います。

私が、Twitterで親しいと感じている人に、「嫌な時はやすんでもいい」「楽しい、気持ちいいと思うことをすればいい」というのは、その為です。

私は、その本人にも言っていますが、当時の自分にも言っている節があります。それは、私自身がたとえ学校に行ってなかったも、人生うまくやっていたであろうと信じているからです。

多分、読者の皆さんもそうではないでしょうか。

さいごに

読むのにも疲れましたが、書くのはもっと疲れました 笑

この本に書いてあることではありますが、私自身も、経験から「学校に行かない」という選択肢を与えるべきだと思っています。

もしあなたがそうなら、身近な人がそうなら、「嫌なことは嫌と言っていい」「嫌なことはやめていい」そして「たとえ休んでも、やめても、どこでもいけるしなんでもやれる」ということをお伝えしたいと思います。自分を信じてみてください。

また後日!

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