全然こういう記事を書く予定はなかったのですが、今日は先日読んだ記事について感じたことを書こうと思います。

日本が中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53545

26歳の藤田さんという方が深センに行き、その活発な様子に驚いたという内容です。その活気あふれる様子に涙したということで、中国に行ったことのない私でも薄々こういうことになるだろうと思っていたので、とても感慨深く読ませていただきました。

この記事は宋文洲さんという、中国と日本で活躍されてる中国人の方の記事で知ることになりました。その方の記事が以下です。併せて掲載します。

戦略とはどう勝つかではない
http://www.soubunshu.com/article/455382279.html

詳しくは記事を読んでいただくとして、これらの記事を読んで思ったのが今回のタイトル「十億人の主役と一億人の脇役」です。

自分の戒めも込めて書いてみたいと思います。

はいて捨てるほど人がいるのに、全員が主役な中国人

道行く人々がとにかく何かを喋りまくっている。5人に1人は、機嫌良く鼻歌なんか歌っている。

– 藤田さんの記事より

上記は一番心に残ったフレーズです。日本で鼻歌を歌いながら歩いてる人はいるでしょうか。周りに気も留めずにしゃべりまくってる人なんているでしょうか。

そこで感じたのは、少なくとも彼らは自分の人生を「主役」として生きているということでした。日本の十倍も人がいるのにです。

人数は少ないのに、脇役な日本人

魚群のような自動車の群れはえんえんとクラクションを鳴らし続けていて、マナーなどという窮屈な枷は存在しておらず、ただ人々の心のこもった会話と仕草だけがある。

-藤田さんの記事より

あえて、「日本の十倍」と強調したのにはわけがあります。

それでは、「なぜあなたは、好きな歌を道で口ずさまないのですか?」ということを考えてみてください。

おそらく、他人の目を気にしたりする意見がほとんどかと思います。

中国人よりも人数が少ないのに、日本人は他人の目を気にして主役であることを拒むのです。

このままでは「道端で鼻歌を歌うかどうかで主役かどうかを決めつけるのは甚だ疑問」といわれてしまいそうです。それでは質問を変えてみましょう。

彼らの決断はおそろしく早い。ちょっと首を傾げるような詰めの甘い企画のプロダクトが、すでに市場に溢れている。

-藤田さんの記事より

あなたが「とにかくやってみたい」と思った、ゆるゆるな企画が通ったことがありますか?

「指摘」という名で塗り固められた玉虫色の書類を作ったことはありませんか?

私は、ほとんどの日本人が脇役になることを自ら選んでると言わざるを得ないと考えています。

本当は主役になりたい悲しい人たち

日本人が脇役になることを選ぶにはわけがあると思っています。日本人が潜在的に「脇役になること」を学んでいるからです。

例えば、あなたがダンスをしたいと思って、お金をはらわずに練習できる場所は近所にありますか?電車の中で会話してはいけない合理的な理由はありますか?

「周りの迷惑」というざっくりした理由によって、あなたの行動はどれぐらい制限されているかを考えてみてください。日本人は「1億総脇役国家」と言われてもおかしくないのではないでしょうか。

しかも都合の悪いことに、日本には「一度失敗すると戻ってくるのは大変」という古き良き日本の文化があります。

この二つが組み合わさることで、日本人は合理的な理由もなく(多分ないと思っていますが)、いろんな人が主役になるチャンスを奪ってきました。

世の中には「脇役でいい」と感じている人もいることも事実です。私の周囲でも、優秀なのに活躍のステージを拡げずにいる人が結構います。

しかし、実態は「主役になりたいけど、脇役に成り下がっている人」が多いのではないかと考えています。

主役になりたくても脇役を選ぶ人々

「主役になりたいけど、脇役に成り下がっている人」、それはどのような人でしょうか。

それは「自分には何の害もないのに文句をいう人」かつ「人の責任で行動する人」があたると思います。

たとえば、上記の中国の記事をみて、「どうせ中国人のやることだから」「中国人の作るものは」などと中国人に反発的な感情を持つ人たちです。

たとえば、キングコングの西野さんや、ホリエモンさんや、イケダハヤトさんを、特に理由もなく(もしくは後付けの理由で)悪く言っている人たちです。

中国については、「だって尖閣諸島が」などという人がいるかもしれませんし、ほかの人にも「逮捕されてる」とか「信者ビジネスだ」とか色々出てきそうですが、そこに問題があったとして、あなたに何の害があるのでしょうか。

業務でも、何か確認したら、同僚の名前をたくさん出してくる人がいます。こういう人に限って、文句が多いものです。

こういう行動には責任が伴いません。しかも一定の支持が得られます。したがって、一時的な優越感が得られるのです。

しかし、自分もそうなりたいけど、なれないから「ずるい」と思ってるのではありませんか?そういう鬱憤をいつ晴らすつもりですか?

この鬱憤は、必ずしもいい結果を生みません。苦情でテレビが面白くなったでしょうか?ネット上の炎上や叩きあいで誰かの人生が豊かになったことがあるでしょうか?

自分が責任を持ち、失敗を恐れずにやるべきことをやることでしか、ましてや他人と比較しているようでは、自分の生活は豊かになりません。

少なくともあなたの周りの「主役」の人たちは、あなたのことを気にしていないし、あなたがどう頑張っても彼らの歩みは止まらないのです。

主役になることをためらうな。脇役は脇役らしくしていろ。

では、どうすればいいのでしょうか。一つは主役になることをためらわないことかと思います。

あなたが感じたことや思ったことを素直に口にすることです。口にしてもだめなら、行動に移すことです。そうして集まった仲間を信じることです。あとは、失敗しても気にしない強い心を持つことです。

以前、保育園を建築しようとしたら反対運動が起きたというニュースが話題になりました。もはや「周りの迷惑」を考える文化はそれによって抑圧される私たちの欲求とのバランスを見失っています。

しかも、昨今では大企業の正社員でも、以前に比べるとその身分は不安定なものになりました。自分らしさを封印して得られるものと、自分らしく生きる喜びの天秤はどちらに傾いているか、自分でかんがえてみるべきだと思います。

今後問われる「脇役力」

もう一方の「脇役は脇役らしくしていろ」ですが、命令口調ですが非常に重要で、表裏一体だと考えています。

話はまた藤田さんの記事の話に戻りますが、重要なことは「鼻歌を歌ってても気にしない」「ゆるい企画があっても気にしない」ということだと思います。

例えば、鼻歌でツバが自分にかかってきたら怒っていいと思いますが、そうでもないのに「うるさい」と怒る合理的な理由はないのです。

実は中国人は、主役マインドのほかに、他人の人生に踏み込まない「脇役力」があるのではないかと考えています。

これは、どうしようもないことに対しては「脇役」に徹するということで、以下のような行動から始まります。

  • 実損がないことで怒らない
  • 自分の言葉に責任がないと知る
  • 論破しない

これらの行動で、自分の脇役力を高めることができます。そして、これまた面白いことですが、脇役力を高めることで、自分が自分の人生の主役になります。

たとえば、以下のような最悪な通勤でも、自分が主役の人生を歩むことができます。

  • 道端で鼻歌を歌ってる人がいれば「おっ、ご機嫌だね」
  • 電車で子供が泣いていたら「元気だね」
  • 電車が遅延すれば「運転手の本気を見てやろう」「外の空気を吸うチャンス!」
  • 電車の中で電話している人がいれば「景気がいいね!」

実はこれらのことは、「7つの習慣」や「思考は実現化する」などのスタンダードな自己啓発書でも何度も言われていることだと思っています。

中途半端な立ち位置をやめて、脇役力を高め、自分が主役を歩めば、人生は豊かになり閉塞感から抜け出せます。あなたはいつまで周りの主役に腹を立て続けますか?

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